すき家 VS 吉野家



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From;秋山大介
宇都宮の自宅より、、、

 

朝の9:00頃でした。

私は、国道4号線を北に向かって、
宇都宮市内をクルマで走っていました。

そして、地元では競輪場通りと言われる通りとの
交差点で、私は右折待ちをしていました。

朝の通勤時間ということもあり、
矢印がでるまで、右折はできません。

だから、私はボーっとしならが、
信号が赤になり、矢印が出るのを待ちました。

 

そのときです。。。

ふと、左を見ると
「すき家」が目に入りました。

 

私は、あ~、そういえば、
ここに「すき家」があったな~と思いながら、
お店の入り口あたりをみました。

 

すると、、、
そこには貼り紙がしてありました。

その貼り紙の中身は、
さすがに見えません。

ただ、ここ最近の飲食業界のことを考えると、
「人が不足していて、営業時間を変更しています」

とか、そんな感じのものが貼り紙がしてあるのかな~と思いました。

 

詳しくは分かりませんが、
まだ、そのような状況が続いているのでしょうか。

 

でも、それはともかくとしても・・・

一時期は、スゴイ勢いでしたよね。

すき家。

 

でも、今は完全に失速しています。

いったい、彼らに何が起きたのでしょうか?

 

八丁堀の事務所の近くにも、すき家があり、
徹夜作業のときなどは、よく通いました。

あの頃はな~と、
たった数十秒の信号待ちの間に、
こんなことを考えてしまいました。

 

それで、、、
すき家の話が出てくれば、
必ず出てくるのは、「吉野家(吉は正確には、土に口です)」ですね。

私は、どっち派かと聞かれたら、
完全に吉野家派です。

かつて、吉野家でも5人しか作れない究極の牛丼を食べたことがあるのですが、
あれを味わってしまっては、もう吉野家派でしかいられません。

もちろん、高校時代から、
吉野家が大好きでした。

部活が終わると、みんなで特盛とライスを注文し、
特盛の肉をライスにわけて、

「これで並盛り2杯だ~♪」なんて言いながら食べていましたから。

 

それと、これは私にとって
色々な運命を変える出会いだったのですが、

私は、吉野家のとある人と、
飲み仲間で、毎週のように吉野家の歴史から何から何まで聞いていました。

そして、最後は、必ず朝まで飲んで、
吉野家の朝定を食べる・・・

そんな日々を何年も送っていたのです。

本当は、営業先だったんですけどね(笑)

 

どうやら、その人は、

営業マンの私が、

「弊社は、こういう理念のもと作られた会社で、
その理念のもとに、このような事業をしています。」

とはじめに言った一言を、相当気に入ったらしいのと、

私は営業マンのとき、
お会いした方に、必ず手書きでお礼のハガキを送っていて、
そのハガキにえらく感動してしまったようなのです。

それで、とにかく仕事の話ではなく、
「まず、飲みに行こう!だから、17:00に会社に来なさい。」

と言われ、そのまま仕事の受注なく(笑)
完全な飲み仲間になってしまったのです。

 

ただ、その人は、

アルバイトから、社員になり、
社員でも、経営の中枢にいた人でしたので、
とにかく「吉野家『愛』」が、ものすごかったです。

 

そのころ社長であった阿部修仁氏を崇拝し、
伝説的な話を色々と聞きました。

しかも、他の社員の方もよく一緒に飲んでいたのですが、
その人たちも、「吉野家『愛』」がすごいのです。

 

最後は、、、

会社のイベントで、ゆずの「栄光の架け橋」が流れていたらしく、
歌いつつ号泣しながら、会社への愛を語りならが、
お開きにしていたくらいですからね。

とにかく、、、
彼らの「吉野家『愛』」は、ハンパじゃありません。

 

で、その人はよく、こう言っていました。

「ウチは、牛丼屋だから。
で、本来の味が出せない場合は、牛丼は売らない。
あと、トッピングのようなごまかしはしないよ。」

 

この頃は、ちょうど
すき家の勢いがすごく、吉野家がトップを抜かれたときでした。

でも、吉野家は、
自分たちの軸をぶらす考えは、全くなかったようです。

BSEで牛肉がアメリカ産の牛肉が手に入らないとき、
もちろん、オーストラリア産に逃げる方法もあったようです。

でも、その選択肢はなく、
それであれば、牛丼は販売しない

そう決意し、豚丼を展開することになったようですね。

 

トッピングについても、
牛丼本来の味を損なうからダメ

と判断し、選択しなかったようです。

たとえ、売上がどうこう言われても、
自分たちの軸を曲げることだけは絶対に選びたくなかったようなのです。

 

その代わり、自分たちでできる工夫は最大限にする
そのようなことをしていたようですね。

「おれたちは牛丼屋」

非常に誇りを持っていました。

 

それから数年が経ち、、、
今の牛丼業界と言うと・・・

どこも苦境かと思います。

 

ただ、、、
すき家は、思った以上に、
ずいぶんと打開策がないな~という印象を受けます。

しかも、ワンオペと言われるもので、
ずいぶんと悪い印象が、世間に回ってしまいましたからね。

 

吉野家の人たちから見れば、
すき家がとってきた戦略というのは、きっと奇策だったでしょう。

反対に、自分たちがとってきた戦略は、
王道だったでしょう。

これは、あくまでも私の印象であり、
吉野家の人と仲が良いというバイアスがあると思いますが、

 

同じ苦境の中でも、
吉野家は、何とかなるのではないかと考えています。

 

反対に、
すきやは、大丈夫かな?と考えています。

 

印象レベルの話で申し訳ありませんが、
たいてい、「すき家」「吉野家」(「松屋」)は、
同じ商圏に出店しています。

これは、私の住んでいる宇都宮や栃木県の一部だけかもしれませんが、
あの人材不足で営業がままならないと言われていたとき

「すき家」は人材不足で営業がままならないのに対し、
「吉野家」は全くそのようなことなく通常営業していました。

 

企業にとって、人材は宝のはずです。

人材がいなければ、
あのような規模の経済で動いている企業は、
どうにもなりません。

そういった意味では、
現場レベルでみたとき、

「やっぱり吉野家は人材が強いな~」と思いました。

そして、同時に、そこから私は底力を感じました。

 

私もしっかりと分析したわけではなく、
印象レベルの話ではありますが、
こういったことを強く感じました。

 

結局のところ、、、、

「奇策をすると、一時期は良いが安定感がない」
「王道を通れば、厳しい時期はあるが、何とか乗り切れる」

そのようなところが、この2社に出ているではないでしょうか。

 

ちなみに、、、
これってトレードも同じですよね?

「たった○日で、○億円!」みたいな方法は、
王道ではなく「奇策」でしょうから、

一時期は良いですが、長期的にみたとき、非常に厳しいでしょう。

反対に、そのような利益の上げ方はできませんが、
この「5つの最強の投資戦略」のような王道の戦略は、

状況が良いときに、爆発的な利益は上げられないかもしれませんが、
厳しいときも、それなりの利益を上げることができます。

つまり、マイナスになる可能性が低いので、
長期的に見れば、普通よりははるかに多い利益を上げることができるでしょう。

 

となれば、あなたがとるべき戦略は、もう決まっていますよね?

 

奇策、、、
王道、、、

あなたなら、きっとこっちを選びますよね?

 

そうそう…

いま「5つの最強の投資戦略」の
人気が急上昇しているのかもしれませんね。

この4月は、3月の2倍のペースで売れてますし。

つまり、私たちの仲間は・・・

それだけ、王道の大切さを知る素晴らしい個人投資家が
そろっているということでしょうね。

なまえ

 

 

 

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西村剛 著 斉藤正章 監修

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夢幻

平均年利100%以上を叩き出し、今なお資産を増加し続ける現役の専業システムトレーダー。 会社員時代は投資教育会社の統括マネージャーとして、成果を挙げた個人投資家やプロトレーダー、ファンドマネージャーなどに数多く会い、様々な実践トレードの手法を学ぶ。 斉藤正章氏や西村とも古くから交流があり、「システムトレードの達人」を開発当初から愛用している。 退職後は、当時の資金500万円のうち100万円を設備投資に使い、資金400万円で専業トレーダーに転身。 トレードの利益から生活費を捻出するため、当初は、資産がなかなか増えていかない状況が続くも、「システムトレードの達人」を使い独自の投資手法を構築することで、本格的にトレードを開始した2013年以降は年利回りが50%下回ることがないという安定した実績を残している。